マッキンリー登山隊遠征記

 20代の終わり頃、思い立ってポツポツと山に登り始めました。そうして山登りをするようになると、いつかは登ってみようと思う憧れの山ができました。私の場合それは、アラスカにある北米最高峰、マッキンリー山でした。(マッキンリーの呼び名は最近米国政府が、先住民の呼び名であった「デナリ」を、この山の正式名称としました。私はまだついついマッキンリーって呼んでしまいます。)

 あの山に、どうやったら登れるのだろう…。30代の私は、ずっとそんなことを思っていました。調べていくと、大蔵喜福という人が登山隊を編成して、十数年も続けてマッキンリーに登頂していることがわかりました。大蔵さんのことを知ってさっそく、私は「荷揚げのボッカでもなんでもしますから大蔵隊に参加させてください」と、大蔵さんに手紙を出しました。2005年の2月頃のことでした。ただその時は、その年の遠征隊は既に編成されていたので、大蔵さんからの返事は「また来年連絡をくれ」ということでした。翌年になって私は、南米のアコンカグアへ登りに行ったのですが、アコンカグアへ行く前にも「私のことを忘れないでください」と大蔵さんに手紙を書き、帰ってからも「登れました」と報告し、とうとう念願叶って、大蔵隊に加えていただくことになったのでした。そしていよいよ6月に「2006 Mt.McKINLEY EXPEDITION IARC-JAC マッキンリー登山隊」の一員として、マッキンリーへと出発することになりました。(IARCとは、アラスカ大学北極圏研究所、JACは日本山岳会のことです。)登山隊の主目的は、マッキンリーの5715m地点に設置された通称「ウェザー・ステーション」の保守・設置(新旧観測機器やバッテリーの交換、回収)でしたが、もちろん、山頂にも登ってきたのでしたぁ!! その時の登山隊の詳細は、旧HPの記事でご覧になれます。長文なので、スマホでの閲覧には適しません。パソコン画面でご覧になっている方は、こちらからどうぞ。

 

 30代の一時期、私には仕事ができないでいる時がありました。自分は何者であるだろうと、悶々とする日々もありました。それでも、いつか登ってみたいという山があって、その夢のためには、どうしたら良いだろうかと考えていました。夢に近づくために手紙を書いてみたり、経験を積むために高い山に登ってみたりして、私は懸命に、夢を育てていました。もちろん、すべての人の夢が叶えられる、というわけではありません。そんなことはわかっていると、思い知らされることもありました。それでも、方向を修正したり、足したり引いたりして、私は夢を諦めないでいました。夢とは、叶えるものではなく、育てるものなのだと、私は思います。結果として、ゴールが違ってしまったということも起きるかもしれません。でもそれが、自分が歩んできた人生なのだと、大人になって少し、そんなことを思えるようになりました。登りたい山にこだわって、憧れの山に登れた私から、若い人に言えることがあるとしたら、そんなことです。

 夢を、育てよう。