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「ことば」はどこから来たのか

 なめとこ山通信 48

 

 皆さんこんにちは。3学期は、あっと言う間に日が経ってる! という思いがする私ですが、いかがお過ごしでしょうか。さて、今号の「なめとこ山通信」は、身近にあるようで無い、無いようである「方言」について、それから「ことば」について、そうして「学ぶ」ということについて、言いたい放題綴ってみました。お時間ありましたら、私の戯れ言にお付き合いください。

 先日、『ことばの地理学 方言はなぜそこにあるのか』(大西拓一郎・著 大修館書店)という本を読み終えました。今まであまり考えてこなかったことに関して、へぇ〜と思ったり、そうそう、と思ったり、単純に私の好奇心を満たしてくれる面白い内容の本でした。そこで初めに触れられていることは、例えば、動詞の否定形に関してです。日本語には、まずこの動詞の否定形において、方言の違いが顕著に現れます。それは、東日本での「〜ない」と、西日本での「〜ん」という、言い方の違いです。国立国語研究所編『方言文法全国地図』を見れば、東西の境がはっきりわかるほどです。(方言地図の膨大な資料は、インターネットからも見ることができます。)この、東西対立がなぜあるのか、その成立要因については、解明されてはいないということです。ただ、古典文法で打ち消しの助動詞は「〜ず」ですから、西日本ではズがンに変化し、東日本では新たにナイが使われるようになったのでは、とも考えられます。(東日本ではさらに、「〜ねぇ」等の否定形が派生します。東北の方言は、寒さ対策として、口を開けないで話せるように派生したものだとも言われていますが、本当でしょうか。)

 「方言」を、インターネットで検索していると、東京女子大学のゼミが開発した「出身地鑑定方言チャート」というホームページが見付かると思います。(現在、「方言チャート100PLUSⅡEX」にバージョンアップしています。)質問に答えていけば、出身地を当てるというものですが、ズバリ正解の確率も高いようです。私も早速試してみました。初めの質問「翌日、家に不在の時、『明日、家におらん』と言うことがありますか?」で、大雑把に西日本出身か東日本出身か、分けられるのでしょう。さらに何度も質問に答えていき、私は神奈川県出身の結果が出ました。本当は東京都ですが、終盤の、「横はいり」という言い方をするかどうか、あるいは「きっかり」と言うかどうかが、東京か神奈川かの境目であったようです。

 ところで、私の妻は九州出身です。動詞の否定形を聞いてみますと、「起きる」は「起きらん」と言うそうです。この、「起きるー起きらん」については大西氏の『ことばの地理学』にも記述があって、九州には、「起くるー起きん」の第一世代、「起きるー起きん」の第二世代、「起きるー起きらん」の第三世代、さらに特殊な「起くるー起きらん」と使い分ける地域もあるとのことです。文法的に説明しますと、「起きる」という動詞は、元は「起く」という形(上二段活用)でした。文語文法から口語文法への変化の中で、上二段活用が上一段活用に吸収されていったのです。「起くる」とは、まだ上二段活用(の連体形)が残っている形で、そこを経た後、「起きる」の上一段活用に変化するのです。さらに「起きらん」は、「起きる」の「る」の部分が活用して助動詞がついた形になります。東日本の人間としては「起きらない」はおかしな言い方ですから、「起きらん」って面白いなと感じてしまうのでしょうね。九州の一部で「起くるー起きらん」の活用が見られる地域が特異なのは、古い「起くる」を残しつつも、否定形は進化した「起きらん」となっている点だということです。ちなみに妻は九州ですが、「起きるー起きらん」の第三世代地域です。それでは、例えば「来る」の否定形は、「こらん」なの?と聞きますと、そこはそうではなくて、「こん」だそうです。妻は、娘と一緒に「でんでらりゅうば」を歌い出しました。

 でんでらりゅうば でてくるばってん でんでられんけん でーてこんけん こんこられんけん こられられんけん こーんこん

 「でんでらりゅうば」は、長崎県に伝わる手遊び歌です。NHKEテレの「にほんごであそぼ」という番組でも歌われていたので、私も知っていました。先ほどの『方言文法全国地図』で調べてみますと、九州はほぼ全域で「こん」と言うようです。九州だけではなく、西日本の広範囲に「こん」という言い方が広がるようですが、「こらん」の言い方が、島根県の東部と、沖縄の一部に、ポツンとあります。その地域だけ、特殊な言い方に進化するのは、なんだかとても不思議な気がします。

 「でんでらりゅうば」の歌を聴いていて、私はふと考えました。私はテレビがあったからこの歌を聞き知っているけれど、もしテレビがなかったら、この歌を知る機会はなかったのでしょうか。うちの娘がこの歌を歌えるのは、テレビのおかげでしょうか、母親のおかげでしょうか。例えば、「あんたがたどこさ」という、わらべ歌があります。私はいつの間にか歌えるようになっています。それは、母親から教わったからでしょうか、学校や幼稚園で教わったのでしょうか、母は熊本出身でもないのに歌えたのでしょうか、・・・。おそらく、多くの人が普通にこの歌を歌えると思いますが、それはなぜだろう、と思うとなんだか気になってしまい、この「あんたがたどこさ」について、以下にちょっと調べてみました。

 「あんたがたどこさ」の歌は、歌詞に「肥後さ 肥後どこさ 熊本さ 熊本どこさ 船場さ」とあるように、一般的には熊本の手鞠歌として知られています。熊本の市電の洗馬橋停留所(この「洗馬」は、もとは「船場」と言い、水路の船着き場があったことに由来するそうです。)には、歌にちなんでタヌキ像が建てられてもいます。ところが、この「肥後手鞠歌」説には異説があるのです。それは、実際歌われている歌詞が熊本弁ではないからです。語尾に「〜さ」と付ける方言は、沖縄が有名のようですが、他にも、三重、静岡、山梨などでも使うようです。(沖縄の「〜さ」は、むしろ「〜さぁ」で、イントネーションも微妙に違うような気もします。)そして、発祥地として有力視されているのが、埼玉県川越だというのです。明治の戊辰戦争の時に、川越の仙波山に官軍の駐屯地があり、そこに熊本藩出身の兵士がいて、その兵士と子ども達との問答が、わらべ歌になったというのです。ただそれだと、問答の中で「熊本どこさ」「仙波さ」と掛け合いをするのは不自然です。結局、この歌の発祥地に関しては、よくわからない、とするのが正しいのかもしれません。もし、関東発祥の歌だとするならば、東日本出身の人達が、子どもの頃から口伝えで聞き知っていたことにも説明がつくのかもしれません。でも、(私の妻のように)九州から東京に出てきて母親になった女性は、以前からたくさんいるわけで、そういう方々が古里を偲んで故郷の手鞠歌を伝えてきた結果とも考えられます。ともあれ、何度も書きますが、多くの人がこの歌を歌えると思うのです。それは、様々な機会に聞き知ったからに違いありません。そうやって、残るべきものは残り、さらに伝えられるべきものが伝えられていくのです。ことばや方言が、広がっていったり、その地域だけのものになったりするのも、きっと同じ理由なのです。

 

 ところで、今年、ある高等学校の推薦入試で、次のような問題が出題されました。「人間は、なぜ何かを学ぶ必要があると思いますか。」私にはたまたま、この小論文試験の、中学生達の答案を見る機会がありました。例えばそれは、「社会に出て困らないため。恥ずかしくないため。」とか、「自分を磨くため、成長のため。」とか、色々でしたが、中に、次のような趣旨の答案がありました。「私は何かを学んで、それを次の世代に伝えていきたい。人が何かを学ぶのは、次の世代を育てるため。」私は思わず、う〜んと唸りました。(はい、合格です!)

 ここで唐突ですが、皆さんは「ミーム」という自己複製子の概念を、ご存知でしょうか。それは、生物学者のドーキンスが、著書『利己的な遺伝子』の中で発表した自己複製子の概念です。私たちが普通考える自己複製子とは、DNAを持つ遺伝子のことですが、ドーキンスは遺伝子以外にも自己複製子があるとして、それを「ミーム」と名付けたのです。そしてそれは、「模倣」の単位であると言います。ミームという概念をもう少し理解するために、スーザン・ブラック著『ミームマシーンとしての私』という本を参考に、著者の言葉を引用しましょう。

 もしドーキンスが正しければ、人間の生命はすみずみまでミームとそれがもたらす結果に満ちあふれていることになる。誰かからの模倣によって学習したことはすべてミームである。たとえば、友達があなたにある話をし、あなたがその骨子をおぼえていて、ほかの誰かに伝えたとすると、それは模倣と認められる。あなたはその友達のあらゆる仕草や言葉を厳密に模倣したわけではないが、その友人から何か(話の骨子)があなたにコピーされ、次にほかの誰かにコピーされたのである。人から人へ伝えられていくものはすべてミームである。これには、あなたのボキャブラリーにある単語、あなたの知っている物語、他人から習いおぼえた技能や習慣、好きなゲームのすべてが含まれる。あなたの歌う歌、あなたの従う規則も含まれる。

 ブラックは、世界中の人が「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー」と歌えるのも、ミームによるものだと言います。ミームはコピーされることを望み、成功したミームはコピーされ拡まるのです。つまり、方言が伝わったり、わらべ歌が歌えるようになるのは、ミームによるものと言えるのかもしれません。いえ、もっと易しい言葉でも言うことが出来るでしょう。私たちが言葉を伝えたり、歌が歌えるようになるのは、私たちがそれを学び、さらにそれを次の世代に伝えようとするからなのです。そうです、これは、前述の中学生の言葉でもあります。私たちが何かを学ぶ理由は、ここにあるのです。

 

 ここで話はまた変わります。作家の大江健三郎が、『「自分の木」の下で』という著書の中で、不思議な話を書いています。大江さんは小学生の時に敗戦の日を体験します。教師達はその日を境に、これまでとまったく反対のことを平気で教え始めるわけですが、そのことをきっかけに、大江さんは学校に行かなくなったのだそうです。学校に行かない代わりに、一人で森の中で樹木の名や性質を、図鑑を頼りに覚えていったのです。ある雨の強い日も森の中にいた大江さんは、家に帰ることが出来なくなり、翌々日、森で倒れているところを発見されるのですが、瀕死の状態でした。家で、看病するお母さんに、大江さんは「お母さん、僕は死ぬのだろうか」と尋ねます。お母さんはしばらくしてからこう言います。「もしあなたが死んでも、私がもう一度、産んであげるから、大丈夫。」大江さんは戸惑って、でもそれは、今死んでいく僕とは違うのでしょ、と聞きます。お母さんは、さらにこう続けます。

いいえ、同じですよ。あなたが今まで見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしてきたこと、それを全部新しいあなたに話してあげます。それから、今のあなたが知っている言葉を、新しいあなたも話すことになるのだから、ふたりの子供はすっかり同じですよ。

 大江さんはその後快復し、学校にも再び通うようになります。そして、学校で校庭をぼんやりと見ていた時に、大江さんは考えたのでした。「今ここにいる自分は、あの熱を出して苦しんでいた子供が死んだ後、お母さんにもう一度産んでもらった、新しい子供じゃないだろうか? あの死んだ子供が見たり聞いたりしたこと、読んだこと、自分でしたこと、それを全部話してもらって、以前からの記憶のように感じているのじゃないだろうか? そして僕は、その死んだ子供が使っていた言葉を受けついで、このように考えたり、話したりしているのじゃないだろうか?」と。それが、大江さんが「なぜ子供は学校に行かねばならないのか」を考えた時に、出した答えの一つでした。長くなりましたが、ミームの概念を考える時、私は必ずこの大江さんのエピソードを思うのです。私はこんなふうに考えます。人は、もう一人の自分を生み出すために(次の世代に自分のことを伝えるために)学ぶのだ、と。

 『ことばの地理学』の中で、著者大西氏はこんなことを言っています。「すでに三十年以上も前のことだが、教養部から文学部に進学したとき、人文学の目指すところは、人間とは何かを明らかにすることにあると、当時の文学部長の先生から訓示を受けた。」「総合学習と呼ばれるものであろうか、中高生の訪問を受けることがある。そのとき投げかけられる質問のトップは『なぜ方言はあるのか』である。実は、この素朴な質問こそが、方言学の究極の目標である。」と。

 ことばや方言が、どこから来たのか、色々な答えがあるのかもしれません。そして誰も、はっきりした答えは出せないのかもしれません。それでも人は、ことばはどこから来たのかを、明らかにしようとするわけです。吉田松陰の言葉に、「学は人たる所以を学ぶなり」というのがあります。まさに、「人間とは何かを明らかにすること」です。私たちはそれで、ことばはどこから来たのかも、知りたいのです。

 人はなぜ学ぶのか。私の答えは簡単です。「知りたいから。」

 何を?「すべてを。」