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100000年後の安全

 今秋公開予定であったというこのドキュメンタリー映画は、福島の原発事故を受けて4月半ばにミニシアターで緊急公開されると、連日たくさんの人が詰めかけた。

 5月21日より、立川のシネマシティでも見られるようになったので、運動会の代休の月曜日を利用してさっそく見に行ってきた。

 原発推進国のフィンランドで、排出される放射性廃棄物の処分問題が持ち上がる。(原発は夢のエネルギーかもしれないけれど、必ず、放射性廃棄物を生み出し続けていくことを忘れてはいけない。)そこで、フィンランドのオルキルオト島では、地下500mの場所に高レベル放射性廃棄物を貯蔵するための地下施設(「オンカロ」”隠された場所”の意。)の建設が始まった。放射性廃棄物が無害になるまでに要する時間は10万年と言われる。従って、「オンカロ」の耐久期間もまた、10万年を想定するというのだが・・・・。これからどのように、10万年という長期間に起きうる出来事を予想するのか。あるいは次の氷河期を経て、地球上に存在しているのは人類でない生物かもしれない。その、共通言語や同じ価値観を持たない可能性のある10万年後の生物に対して、地中深くに埋めた放射性廃棄物の危険性を伝えるべきか? その方法とは? 

 マイケル・マドセン監督作品

 SF映画のようだった。これは現実の世界の話? そう、これはフィンランドの現実世界の話。福島で、原発事故が起きなかったら、きっとこんなことはずっと知らずにいるのだろうな。

 100000年後は、気の遠くなるほどずっと先の未来だ。本当に人類は存在しているのだろうか。いっそ、猿や鳥や植物・昆虫だけの、(科学文明のない)地球に戻ってしまっていればいいのに。

 そこでふと思った。人類が発掘してきたこれまでの遺跡の中に、人類以外の生物が残した「オンカロ」がなかったろうかと・・・・。

 マドセン監督が繰り返し、暗闇の中でマッチを擦るシーンがあったけれど、やはり原発を取り上げたドキュメンタリー映画「祝の島」(纐纈あや監督作品)のパンフレットにあった、高木仁三郎という人の文章を思い出したりした。

 

   人間は火を燃やす竈を精密に強大にし、

   また、術に長けはしたけれど、

   なお壮大な生物の文化には

   合流しえずにいる新参者なのかもしれない。

   核の竈などという、

   自然界の文化とはなじまない、

   ある意味ではきわめて野蛮な文明を

   発達させたことなども、

   その現れといえるかもしれない。

      高木仁三郎 「いま自然をどう見るか」(白水社)より