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3.11

 その時僕らは体育館で、3年生を送る会を行っていた。あそこに皆が一緒にいて、すぐに集まれたということは、少しだけ運の良かったことかもしれない。ただ体育館はあんまりグラグラと揺れるので、生徒はきっと怖かっただろうと思う。その後、避難場所を移動する。

 生徒の引き取り訓練というのはしていたが、この日電話回線はパンク状態で、なかなか保護者と連絡が付かない。何より電車が止まってしまっており、連絡が付いても引き渡せないもどかしい状況で、ジリジリする。

 帰宅できない生徒達と一緒に、学校で非常食の夕食を食べた。御飯と味噌汁が配膳された。その時はまだ、どんなことが起きたのかよくわからずに、なんだか校内泊みたいだねと話していたんだ。

 あと数人、保護者と連絡が付かない生徒が学校に残っていたのだけれど、教師全員が残っている必要はないという判断もあり、自分は帰宅することに。「Mちゃん、がんばってね。Y先生が一緒にいてくれるから、大丈夫だよ。」

 その日、自分は少しだけ帰宅難民というものだったかもしれない。途中まで、車で送ってくださったI先生、ありがとうございました。信号が停電している街を抜けて走るも、大渋滞につかまる。歩いた方が早いだろうとの判断で、途中で失礼して、あとは家まで黙々と歩いた。

 自宅にも連絡が付かなかったので、木造の家は倒壊しているのではないかと、この目で見るまでは気が気ではなかった。とにかく、帰れて、ホッとした。帰る家のあることに、ただただ感謝。

 そうして、想像を遙かに超えていた、震災の現状を初めて知ることになる。