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伊藤くんへの手紙

 なめとこ山通信 23

前略 暑い夏だけれど、元気かな。もうずいぶん、会っていない気がするね。てっきりまだ、渋谷のあのお店に勤めているのだと思っていたら、この間、「かごやになりました」なんてメールが届いて、びっくりしたよ。ははは、何なの?「かごや」って?

 就職難のこのご時世に、本当に自分の好きなもの、やりたいことはこれだから、えいやっ!て、それまでの仕事を辞めて、新しいことを始める勇気をもてるってのは、偉いね。凄いことだよ。伊藤君のブログの、最初の記事の中に、こんな言葉を発見した。

かごの持つ魅力に導かれて、それまで自分たちのテーマであった「自然に寄り添う暮らし」「過去と未来をつなげること」「つくる人とつかう人がつながること」、といったキーワードが、すべてキュッキュッとかごに結びついていきました。

 それで、「籠屋」なんだね。今はまだ、通販のWEBショップの段階のようだけれど、そのうちお店が大きくなって、いろんなところからたくさんの人が、伊藤君のお店のかごを買いに来るようになるといいね。

 そうそう、伊藤君が見に行ったと言っていた映画、「祝の島(ほうりのしま)」を、遅ればせながら見てきたよ。実はこの映画、ちょっと気になる人が 「良い映画ですよ」と言っていたから、見てみたいなぁとは思っていたんだ。でもそれっきりにしてしまっていて。忘れかけていた時にまた、伊藤君が、「祝島 の人々の自然との向き合い方、未来へバトンをつなごうとする意思の強さに、とても感動してしまいました。」なんて紹介するもんだから、あぁやっぱり見てお かなくちゃって、思ったんだよね。同じような匂いのする人は、やっぱりアンテナの張り方が一緒なんだなぁって、そう思ったよ。

 「祝の島」 纐纈(はなぶさ)あや監督作品。それは、今から28年も前に原発予定地となった、瀬戸内海の小さな島「祝島(いわいしま)」での、島 民の日々の生活と、反原発運動とを綴った、ドキュメンタリー映画だ。淡々と繰り返される島の一日一日は、一つ一つ丁寧に人が手をかけてきたからこそ守られ て来たし、受け継がれてもいくものだと納得がいく。そこへ、「核の竃などという、自然界の文化とはなじまない、ある意味ではきわめて野蛮な文明」(高木仁 三郎「いま自然をどうみるか」より)を、「やめてください」と叫ぶ人がいる前で、どうして建てようとする人がいるのだろか。(中国電力の人達は、ただ仕事 だから、計画で決まっていることだからお願いします、と言っているみたいで何だか間抜けだ。一方で、「あんたら命を懸けて何かしたことあるんか!」と叫ぶ おばちゃんの姿は、かっこうよかった。)

 1982年に上関町長が誘致を表明して始まった上関原発計画は、翌年、祝島漁協が原発反対を決議して以 降、原発の着工にまで進展することはなかった。けれど、漁業者側敗訴の判決という結果を受け、2009年からはいよいよ中国電力が埋め立て海域へのブイ設 置を準備、そしてそれを反対住民が阻止するといった攻防が展開された。発表によれば原発1号機の着工予定は2012年6月(当初の着工予定は2002 年)、営業運転開始予定は2018年3月になるという。「祝の島」を見て、私たちにとって本当の意味での豊かさとは何だろと考えた。人間らしく暮らすとは どんなことだろうとか、今の私たちの周りに溢れている、手に取れるものからそうでない様々な物事を想像してみて、これはいる、これはいらない、これは大 切、これはどこにでもあるもの、・・・と取捨選択してみれば、本当に残るものはどれほどだろうかなどと、考えてみた・・・。

 そう言えば、かごやになった伊藤君の以前の勤め先のボス(パタゴニアの創業者、イヴォン・シュイナード)が、こんなことを言っていたということを、ある本で読んだんだ。

 冒険というものの究極は自分の身体一つで行うことだと思っている。もしある人がはじめてクライミングをやりはじめたら、周りにある装備を全て使うだろう。例えばアイスクライミングだったら、最初はダブルアックスで氷壁を登るかもしれない。それはとても簡単なことだ。しかし、技術を身につけていくにつれ、その氷壁を一本のアイスアックスで登れるようになるかもしれない。もしも、禅マスターだったらここに座ったままでも登ってしまうかもしれない(笑)。それはある道筋のようなものなんだ。私にとっての究極は何の道具も使わない『ソロクライミング』なんだよ。チョークもクライミングシューズもガイドブックも・・・。裸で登るのが究極さ。きみが興味をもっている古代の航海術と同じように、全ての装備を知恵に置き換えること。それが到達点だと思ってる。私はそれを信じてやまない。

 二十年ほど前、私はある講座を受けもって子どもたちに料理を教えたことがあ る。そのとき私は料理を教えるのに、鍋もフライパンもコンロも使わなかったんだ。私は小麦粉と少しの水を使い、自分の手で生地をこね、パンを作ってみせ た。そしていくつかの拳大の石を拾ってきて、焚き火で焼き、その石でパンを焼いた。さらに近くの川で魚を捕ってきて焼いたんだ。私は結局何の道具も用いず に料理を終えた。それが本当の生きる力というものなんじゃないか? 私の生活の全ては「実践」からきている。そのような力はどんな道具より信頼のおけるものさ。

(石川直樹・著「全ての装備を知恵に置き換えること」より)

 

 伊藤君が、かごやになろうと考える萌芽みたいなものは、会社選びの段階からなんとなくあったのだろうなぁとも思ったんだ。

 それにしても、今年、ワールドカップを見ていて、あれから4年経つのかぁって、思わなかった? 伊藤君は、前の勤め先でなければ、きっと休みが取 れなかったのだろうし、俺も、あの時でなければあんなに自由な時間はなかったんだ。そうして実現した、マッキンリー登山だったんだよね。今でも思い出すこ とはある? 俺は、一番の楽しかった山の思い出として、時々、思い出すことがあるよ。ただ、あの時みたいに、何かに向かってがむしゃらに、今でも何かでき るだろうか。・・・なんだかすっかり、何もせずに動かない人になってしまった自分は、行動をする伊藤君を見て、机の前に張られたマッキンリーのポスターを 見上げて、ただ嘆息しているよ。

レベルの高い難しいクライミングをいくつもこなした後、何がしたいかを問われてある男は言ったそうだ。歩きたい、と。未知の方角へずっといつまでも歩いていきたい、そう言ったんだ。

イヴォン・シュイナード

 今度ぜひ、かごやの話を聞かせてください。そしてまた、山の話をしよう。必ず近いうちに、遊びに行きます。

 奥さん、娘さんによろしく。

                                           草々