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邂逅の森

 大正から昭和初期、秋田の貧しい山村に、マタギ達は暮らしていた。この物語は、その中の一人「富治」の、まさに波瀾万丈の人生を描いたエンターテイメントだ。筆者、熊谷達也はこの作品で、山本周五郎賞と直木賞とをW受賞したそうだが、直木賞受賞にふさわしい小説の醍醐味を充分堪能させてもらえる作品に仕上がっている。

 主人公の富治の溢れんばかりのエネルギーは、やがてその若さ故に、村を追われる原因を招くこととなる。その後、彼は炭坑での労働を強いられることとなるのだが、いろいろあって、やはりマタギとして生きていく選択をする。その間、様々な人との出会いも上手く絡み合う伏線となって、やがてクライマックスである、マタギの仕事を辞めるべきか否かを山の神様に教えてもらう壮絶な場面へと収斂されていくのだった。

 前半部分では、マタギとはどういう人達でどういう仕事をしているのかを、丁寧に説明してあって興味をかき立てられた。そして一気に読ませるクライマックスは、(「まるで『老人と海』だ。」という評のあるとおり、)まさに圧巻だった。

 物語に書かれてあった様々なことを考え合わせてみると、豊かになったはずの私たちの今の暮らしとは、本当に豊かなものなのだろうか、という思いがしてくる。人生には騙し合いもあれば深い絆によって結ばれることもあるのだなぁと、眠っていた?五感を刺激されたりもする。大人の作品であって、山の神に祈ることや自然に感謝すること、そして人を信じること等と併せて「生き抜く意味」を考えさせてくれる作品だった。 

 ところで私は、こんなマタギ達の暮らしていた秋田・阿仁町とはどんな場所なのか知りたくなって、この間の連休にのこのこと秋田まで出かけてみた。そこには、マタギ資料館というものが、ひっそりと建っており、寂れた過疎の村という印象はぬぐえなかった。実際、マタギだけで生計を立てていける人は、もう残っていないのだろう。山村の過疎化と、「マタギ」という一つの日本の伝統の消滅とは一体であると肌身に感じた。マタギ資料館には、「山立根本之巻」という巻物(マタギの首領だけに代々伝わる秘伝書。)が展示されていたが、この秘伝書が次世代に渡らずここにあるということこそすなわち、マタギの伝統が途絶えたことを物語っているのだった。

 大正14年の狩猟法の改正で、ニホンカモシカが狩猟獣から保護の対象になったという。(昭和9年に天然記念物に指定され全面禁猟、昭和30年には特別天然記念物に。)そのことでマタギ猟の対象はツキノワグマに移り、また、平成5年には白神山地が世界遺産に登録されたことによって、登録地域は禁猟区となり、狩猟を続けていたマタギ達も山のガイドに転進せざるを得なかったという事情もあるようだ。現在、狩猟によって仕留められるクマの数よりも、駆除獣として殺されるクマの方がずっと多いという話を聞いても、人間が自然の中で自然と共に生きていくこととは、どういうことなのかなと、複雑な思いになったりもする・・・。

 『邂逅の森』の登場人物の一人(富治の弟分、小太郎)が、こんなことを語っている。「こんな山の奥に、これだけでけえ街があって、欲しいものはなんでも揃っていてよ、麓にはないような電灯の明かりまでが点いているってこと自体、何かが間違っているように思えてならねぇ。人間てのは、お天道様と一緒に生きていくべき生き物だって俺ぁ思うんだ。」

 街での生活はどんどん便利になる一方で、私たちにとって大切であったはずの生活は辺鄙な里へ追い遣られ、やがて日本の伝統の一つが消えていく・・・。と、街にすむ自分が何を言っているんだろうか。

 熱い気持ちにもさせてくれる、読みごたえのある小説だった。

 『邂逅の森』熊谷達也・著。文藝春秋社。文春文庫版あり。