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憧れの山

 なめとこ山通信 7

 みなさん、こんにちは。夏休みを充分楽しんでいる方、残念ながら短い夏休みだったという方、いろいろでしょうが、いかがお過ごしでしょうか。せっかくの夏休みにはちょっと頑張って、普段できないような冒険の旅なんかができたらいいですね・・・。もし、うんと長い夏休みが(子どもの頃のように!)もらえたとしたら、皆さんはどんなことに挑戦するでしょうか・・・。

 私は、20代の終わりの頃に、ただ漠然と山に登ってみようと思い立ち、ポツポツと山登りを始めました。そうして登山をするようになると、いつかは登ってみようと思う憧れの山ができたりするのでした。もちろんそれは人それぞれで、故郷の最高峰の山であったり、北アルプスの槍ヶ岳であったり、あるいは本家アルプスのマッターホルンであるのかもしれません。私の場合その憧れの山は、アラスカにある北米大陸の最高峰、マッキンリー山でした。

 マッキンリー(先住民の呼び名では、「高き者」の意味の「デナリ」で、最近はこちらの呼び方が優勢のようです。)の魅力は、その山容の圧倒的な大きさと、第三の極地とも言えるほどの厳しい自然環境と言えるでしょうか。そのためにこの山は多くの登山家を虜にし、彼らの命までも奪ってきました。植村直己や山田昇といった日本を代表する登山家も、この山で命を絶ったのです。私は、冒険家としての植村さんに憧れていましたから、少しずつ、マッキンリーってどんな山なのだろうという興味関心が沸いてきました。と同時に、主にアラスカで活動をしていた写真家の星野道夫さんのような生き方(星野さんはカムチャッカで、ヒグマに襲われて亡くなってしまいましたが。)にも憧れていましたから、実際にアラスカに行って間近にマッキンリーを見上げた時には、そこに、夢に描いていた何かが、白く巨大な城のような形になって現実のものとして出現した思いがしたのでした・・・。いつかはマッキンリー。・・・ここ数年の私は、そのことを目標にして生活していたとも言えるかもしれません。

 

 しかしマッキンリーは、私のような中途半端な山の素人が単独で出かけて、簡単に登れる山ではありません。もちろん単独で行けないことはありませんが、より安全を考えるならば、この山に限っては登山隊のようなものに参加した方がいいだろうかと考えていました。それで調べてみると、大蔵喜福という人が登山隊を編成して、十数年も続けてマッキンリーに登頂していることがわかったのです。大蔵さんは、岳友の山田昇氏をマッキンリーで亡くしたことを契機に、マッキンリーで吹く風を調査し観測データを蓄積することで、気象遭難の防止策に、ひいては今日、地球規模で起きている気象問題の解明の手助けにならないかと考えたのです。

 大蔵さんのことを知った私が、大蔵隊に(荷揚げのボランティアでもなんでもしますから)参加させてくださいと最初に連絡したのが、去年の2月頃でした。しかしその時点で、その年の遠征隊は既に編成されていたので、大蔵さんからの返事は、「また来年連絡をくれ」ということでした。そうして今年に入り、どうやら隊に加えていただくことになって、6月に、「2006MtMcKINLEY EXPEDITION IARC-JAC マッキンリー登山隊」のメンバーの一人として、マッキンリーに登ってきました。(lARCとは、アラスカ大学北極研究所、JACは日本山岳会です。)登山隊の主目的は、マッキンリー山5715m地点に設置された通称「ウェザー・ステーション」の保守・設置(新旧観測機器・バッテリーの交換、回収)でしたが、もらろん、山頂にも登ってきました! アタックの日は、それまでの悪天候が嘘のように晴れ渡り、自分が運良く山頂に立てたのは、何か不思議な力が働いていたのではと思われるほどでした。(マッキンリーヘは、世界中から毎年千人以上もの登山家が、その頂を目指して登りにやってきます。そしてその登頂率は、だいたい5割くらいのようです。)

 

 マッキンリーの山頂は、これまでに登ったどの山よりも、真っ白な世界に包まれた、異次元のような空間でした。自分がそこに立っているのも不思議なのですが、仲間が一緒なので、しみじみとした嬉しさもまた実感として湧いてくるのでした・・・。10年ほど前に山登りを始めた自分は、マッキンリーを目指していたわけではありません。けれどいつしか、そんな夢を描くようになって、強く心の中であたためているうちに、私は運良く憧れの山、マッキンリーにも登れたのでした。

 冒険とは、諦めないこと、諦めないで強く心に思い続けること、かもしれませんね。そうして、その上で、一歩踏み出してみること。手紙を書いてみること、でしょうか。もし、皆さんの夏がまだ終わらない夏ならば、ぜひ、冒険に挑戦してみてください。皆さんの冒険のお話を、冒険学校で聞かせてください。