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母さんのこと

 体の小さい人だった。

 今思うと、声を出して笑ったことのない人だったかもしれない。静かに、でも顔中で笑っていた笑顔が目に浮かぶ・・・。苦労や我慢の多い人生だったんだろうなと思う。楽しいことって、何だったんですか? まだ話が出来る時に病院へ行った際、ベッドの上の母さんに「いいことなんて何にもなかったのに、最期もやっぱり、こんなに苦しいんだもん・・・。」とポツリと言われてしまって、涙をこらえるのに必死だった俺。「そんなことないよ。これからきっと、いいことあるんじゃん。」なんとかそう言ってみたけれど、その言葉は結局、嘘になってしまった・・・。看護婦さんに悪いからって、どこか苦しくても決して看護婦さんを呼ぼうとしない人だった。それで最期は、本当に一人で、静かに亡くなったんだって後から聞いた。苦しくても苦しいって言わない、ちょっと意地っ張りな人だった。馬鹿だなぁ、母さん。そうしてたぶん、自分の人生の引き際というのをよく心得ている、侍のような人だった。食事を摂らなくなってすぐに、スーッと、逝ってしまった。・・・。

 母さんの葬儀には花がたくさん届いて、それを眺めているだけで涙が出た。花の好きな人だったから。母さんは、大げさなのは嫌よと言ったかもしれないけれど、葬儀はとても、いい葬儀だった。田舎のお葬式で、その地区の慣習に則って、お寺に入る前に葬列を作って皆で境内の外を練り歩いた。近所の人がエプロン姿で野辺に立って、合掌して葬列を見送ったりしてくれていたよ。秋晴れのいいお天気だった。

 

 母さんが亡くなってひと月が過ぎ、さすがにくよくよもしてないけれど、出来の悪い息子で本当に最期まで心配ばかりかけてしまってごめんなさい、という思いでいっぱいだ。母さん、母さんは幸せだったんですか?

 最後に「お母さん」と、声に出して呼びたかった。・・・

 体の小さい人だったけれど、俺にとっては大きくて大切な人だった。