畦地梅太郎展 山のよろこび

 畦地梅太郎という版画家を、ご存じだろうか。名前は知らなくても、かつて「山と渓谷」や「アルプ」などといった雑誌において、独特な構図の山や、山男をテーマにした版画で目を楽しませてくれた人、と言えば、あぁあの版画の人かと、お気づきの方もいるだろう。その、畦地氏の生誕百年を記念した作品展を、東京町田市にある市立国際版画美術館へ見に行った。

 事前の知識としては、山の版画家というくらいのことしかなくて出かけたのだが、それが見事に、良い方に裏切られた。今回の作品展は、畦地氏の96年に及ぶ生涯の、版画家としての、そして人間としての歩みがわかるように構成されていて、とても興味深いものだった。愛媛県の山あいの村で生まれ育ち、16歳で故郷を離れ、様々な職に就いた後に24歳で版画と出会い、やがて「山」を自分のテーマに定め、50歳代から「山男」を題材にした作品に取り組み、80歳を越えても創作意欲に燃えていたという畦地氏。初期の作品群「伊予風景」に込められた故郷への温かい眼差しや、晩年の「家族」をテーマとした作品群から感じられる愛情も、畦地梅太郎という芸術家の人柄から生まれるもので、版画というものがこれほどまでに優しさや力強さを湛えるものなのかと、感心することしきりだった。

 気に入った作品はいくつもあったけれど、特に足を止めて、つい、ニヤリとしてしまったものがあった。山男の作品群の中の、「登山をする男」というものである。似ているのである。いや、誰にって、その、自分に。もちろん、こんなにスマートじゃぁないし、自分で言うのもなんだけれど、俺って、山に登っているときってこんな感じじゃぁないかなって、なんだか懐かしい思いがして、その版画に見入ってしまった。そしてもう一つ、あぁって思って足を止めて見入ってしまったのが、「雪山嶺」と題された、甲斐駒ヶ岳を題材にした作品だった。その版画の甲斐駒は、輝いているのである。他の作品で表現される山々は、独特の曲線で描かれることが多いのに対して、この甲斐駒は、切り子細工のような表現で直線を多用している。畦地氏は、この甲斐駒を実際に見た時に、「打ち砕かれた氷の塊の断面を思わすような、とげとげしい駒ガ岳の山容は、むしろ、身ぶるいをおこすような醜怪な姿の眺めとも思えた。」と語っているようだ。山の恐ろしさを美しく表現した傑作といえるのではないだろうか。

 「俺は生きるんだ」という信念のもと、96歳の生涯を生き抜いたという畦地梅太郎。その作品一つ一つに、彼の生きる力が注がれているのが感じられ、とっても満足感を覚えた素敵な作品展だった。