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Vulnerableな私たち。

 アメリカでの同時多発テロ事件に関しては、何か書かなくちゃなぁと思いつつ、なかなか考えがまとまらず、書けないでいる。考えがまとまらない? いや、そうじゃなくて、現状がよく見えてこないから、はっきりしたことが言えない、のかなぁ。(小泉首相も、アメリカがどんな軍事行動に出るのか、知らされていないんじゃぁないのかなぁ。)それとも、何か書くと、たぶんアメリカ批判になっちゃいそうだから、自分は躊躇してるのかな。・・・。

 もちろんあの事件は、あまりに凄惨で、許すべからざる暴力行為だ。真犯人は、法の下で裁かれなければならないし、こんなことが二度と起こらないように、世界中の人が、命や平和の大切さを痛みとして考え直さなくてはならない。・・・。ほらね、なんかへんてこだ。本当に言いたいことはもう少し違うことのようなんだけれど、ここまで(喉のこの辺まで)出てきてて、形にならない。ただ、小泉内閣、なんだか怪しいぞってことは最近感じるよ。

 アメリカは、今や世界はアメリカを支援する国か、テロ分子かの二つしかないって言い切っているけれど、テロにはもちろん反対で、ただアメリカもおいおい大丈夫かよって言える第三者がいなくっちゃぁ、いつまでたってもこの憎しみ合いは、終わらないと思う。(最初に小泉さんが、「これは民主主義に対する挑戦だ。」と言った時点で、俺は、え〜っそうなのかなって思った。俺が最初に感じたことは、恐ろしいまでのアメリカに対する憎悪の爆発だ、てことだったから。)日本の役割って、アメリカに同調することだけではないと思うんだ。「あらゆる兵器を使って作戦を実行する」ってブッシュ大統領は言っているけれど、そのことを小泉さんは、(アメリカによる核攻撃を受けた唯一の国の首相として)なぜ、諫めなかったんだろう。(テロに反対する姿勢を示すことと引き替えに、無軌道な核実験を行ったパキスタンに対する経済制裁を解くなんてこととが、同じレベルで考えられてはいけないって、それは新聞の投書で中学生でさえ言ってたんじゃないかな。)核兵器だけの問題じゃぁなくて、例えば今、アメリカがじゃんじゃん使っている劣化ウラン弾の問題はどうなの? 湾岸地区でも、旧ユーゴでも、武器を使った兵士や一般市民が被曝して、障害を持った子供も生まれているらしいということ、その辺の所も調べましょうよって、・・・。言えないかなぁ、やっぱり。言えないかぁ。

 テロにはもちろん反対だよ。そして、へなちょこって言われても、軍事制裁という暴力にも反対だ。

 

 Vulnerabilityという言葉を、新聞記事の中で見つけた。(「ボルネラビリティ・脆弱さ」とあったけれど、正しい発音は、バル・・かな。)日本語では「もろさ・もろい」、と言うのがそれに近いのかなって思って、もろいなら、fragileって言葉もあるなぁと、思った。

 実はちょっと前に友達が、今回のテロ事件を受けて勤め先の会社でも爆弾騒ぎがあったとかで、「自分自身の人生も実はものすごくVulnerableなんだって思いました。」と、メールを送ってくれていた。外資系の会社に勤めるその人が、Vulnerableのうまい日本語が見つからないって言ってたもんだから、ちょっと辞書で調べたりしてたんだ。

 「Vulnerable」は、ラテン語の「傷つける」という意味から来た言葉だそうで、「(要塞などが)攻撃されやすい」というのが、元々の意味みたい。前出の友人も、「さらされている、という意味の弱さかな」って、教えてくれた。もちろん、weakとか、fragile、frail、feebleなんかとは、ニュアンスの違う言葉だ。

 そんなことを考えると、強い・弱いを表す日本語の語彙って少ないなぁって、思ったんだ。日本人って、強いとか弱いとかをあまり意識する民族じゃぁないんだろうなぁって思ったり。

 日本は、耐える文化だよね。耐える、堪える(こらえる)、忍ぶ、凌ぐ、堪える(こたえる)、堪る(たまる)・・・。英語では、例えばstandにしてもresistにしても、我慢するというより抵抗するって意味が強い気がする。(endureにも、そんなような意味はあるのかな。)

 耐えるのは、積極的な強さではないけれど、それは弱さじゃぁ、ないよね。ガンジーが唱えたのも、非暴力不服従だったことを考えると、農耕民族と、狩猟民族との、文化、意識の違いなのかなぁって、思ったりする。だから、アジア民族としての答えの出し方って、あってもいいと思うんだよなぁ。(けど、インドも、核実験はしているけどね。)

 

 この間の、テロ事件の追悼番組で、スティングが「fragile」という歌を歌ってたっけ。

 How fragile we are. How fragile we are. 

 そして今、How vulnerable we are. なんてことを切実に肌で感じる時代を、僕らは、生きてるんだ。